信州日記│長野県感動情報
信州への移住、風景、温泉、自然、などの情報!
首都圏・東海地方からも近くて自然と温泉の満喫できる信州・長野へ移住や旅行へお越しの際にとても役立つ情報を提供しています。都会のヒートアイランド現象や大気汚染から逃れてさわやかな信州へ来ませんか!!
かつては、「陸の孤島」と揶揄されることもあった信州ですが、現在は新幹線で東京から90分、県内各地は整備された高速道路網で首都圏はもちろんのこと、名古屋、北陸からもアクセスのよい観光地となっています。
信州で働こう!!
信州リクルート情報
信州に進学しよう!!
信州の大学・短大・専門学校
信州の温泉 信州花と紅葉 信州一人旅 コテージ貸別荘 信州で暮らす 信州に移住 信州大学 信州感動の風景
分杭峠戸隠松本城善光寺

信州の温泉
信州花と紅葉
信州一人旅
コテージ貸別荘
信州で暮らす
信州に住む
信州大学
信州感動の風景
代表的&話題の観光地
地酒・ワイン・漬物
おいしいお漬物
その他
メールはこちら

名前:
メール:
件名:
本文:

神秘なる戸隠

2008年の戸隠参拝レポートはこちらをご覧ください
戸隠神社中社戸隠神社は、奥社・中社・宝光社の三社からなっている。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られていた。

縁起によると学問行者が修験を始めた年代を嘉詳二年(849)頃としていて、これが戸隠寺(奥院)の起源となったという。その後200余年を経て康平元年(1058)に宝光院が、さらに寛治元年(1087)に中院が開かれたという。明治の初めの、神仏分離により、寺を廃し、奥院・中院・宝光院をそれぞれ奥社・中社・宝光社と名称を改めた。

中世には、戸隠山は武田、上杉の争乱に巻き込まれ、甲越両軍の戦略によって絶えず危難に脅かされたので、三院の衆徒らは、一時、大日方氏の領内水内郡小川の筏が峰(現小川村)に移り、約30年の歳月をここで送った後に戸隠山に帰った。 修験の山の旧態がなおよく保存されている奥社・中社・宝光社及び筏が峰三院跡(奥院跡・中院跡・宝光院跡)が史跡指定となっている。

なお、奥社・中社付近の考古学調査は、昭和38年(1963)から昭和40年(1965)にかけての戸隠総合学術調査の一環として行われ、講堂跡をはじめ数々の遺構などが明らかにされている。

戸隠神社奥社(おくしゃ)

祭神:天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
由緒:日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、 無双の神力をもって、天の岩戸をお開きになった天手力雄命 を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。
戸隠神社奥社入口 戸隠神社随神門 戸隠神社奥社杉並木
奥社を参拝するには、奥社前の駐車場から約2キロの参道を歩いて行くことになります。
車で行くことはできません。行ってみるとわかるのですが、到底車が行かれるような場所ではないのです。
「平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場であった」ということを身を持って知ることができます。
よって奥社を参拝する時は時間が往復で1時間はかかります。奥社を参拝する時は時間に余裕がある時にしましょう。服装や履物もそれに合わせて動きやすい格好で行きましょう。
4月末に訪れた時は、随神門より先は、まだ雪が積もっており、転んでいる人も居ました。
12月〜4月初旬頃までは、スノトレや登山靴が必要になるでしょう。
戸隠神社奥社 戸隠神社奥社 戸隠神社奥社

戸隠神社中社(ちゅうしゃ)

祭神:天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
由緒:素戔嗚尊の度重なる非行に天照大神が天岩戸にお隠れになった時、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開 くきっかけを作ったという神です。
 学業成就・商売 繁盛・開運・家内安全に御神徳があります。
戸隠神社中社 戸隠神社中社御神木 戸隠神社中社前参道
戸隠神社の中で一番参拝しやすいのがこの中社でしょう。長野市からのバスもかなり頻繁に来ていますし、駐車場や観光案内所なども充実しています。戸隠そばのお店の数もこの中社近くが一番多いと思います。
中社には樹齢700年の御神木があり、かなり見応えがありますので参拝と一緒に見るといいでしょう。
中社に伝わる三本杉の話を読んでからここへ参拝するといいでしょう。
戸隠神社参道には竹細工の店が多い 戸隠そば 鷹明亭 辻旅館
中社付近の参道は道もよく、戸隠そばのお店や特産品の竹細工を販売しているお店が多く立ち並んでいます。
宿坊や旅館もこの中社付近には多くあります。
鷹明亭辻旅館は古くは宿坊であり戸隠の歴史と土地柄をふまえた蕎麦会席にてもてなしてくれるお宿です。

戸隠神社宝光社(ほうこうしゃ)

祭神:天表春命(あめのうわはるのみこと)
由緒:祭神は中社祭神の御子神様で、開拓学問技芸裁縫の神・安産 の神・婦女子の神・子供の神として御神徳があります。
戸隠神社宝光社 戸隠神社宝光社 旧延命院 お宿 諏訪
宝光社は長野市方面から来ると一番近くにある社殿です。
杉の木立の中に急峻な階段があり、その向うにそびえ立っている様は、戸隠神社の威厳を醸し出しているかのようにも見えます。 社殿はかなり手の込んだ造りとなっていて、宮大工さんの技術の素晴らしさを見せてくれます。
この周辺にも宿坊風の宿が何件かあり、旧延命院お宿諏訪 は宿坊の落ち着きを兼ね備えた料理自慢の宿として知られており、作家林芙美子がうず潮を執筆した宿として有名な宿です。

九頭龍社(くずりゅうしゃ)

祭神:九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)
由緒:鎮座の年月不明ですが、天手力雄命が奉斎される以前に地主神として奉斎され、心願成就の御神徳高く特別なる信仰を集め、また古来より水の神、雨乞いの神、虫歯の神として尊信されています。
九頭龍社 この九頭龍社は、奥社のすぐ下にあります。
よって奥社へ参拝するのと同じ道のりを歩いて行かないと行くことができません。

画像の社殿は雪囲いがされた常態のもので、貴重な画像といえるでしょう。

重装備をして、真冬に行ってみるのもいいかもしれません。


火之御子社(ひのみこしゃ)

祭神:天鈿女命(あめのうずめのみこと)
由緒:承徳二年(1098)頃の創建で、岩戸の前で舞われた天鈿女命が主祭神で他に三柱の神様をお祀り申し上げております。
 戸隠山の神様が神仏習合されていた当時も、このお社だけは神社として終始しておりました。戸隠神社太々御神楽は、この神社に仕えていた社人によって古来より伝えられ現在に至っております。舞楽芸能の神、火防の神として尊崇されております。

長野県百科事典(信濃毎日新聞社刊)による戸隠神社とは
 上水内郡戸隠村(現長野市)にある神社。旧国幣小社。奥社、中社、宝光社の3社からなる。近世には神仏混合で、神社というより天台宗の寺に近かった。縁起によると戸隠寺(奥院)は849(嘉祥2)年、学問行者によって開かれ、1058(康平1)年に宝光院が、さらに約20年を経て、中院が開かれたという。

この奥院、宝光院、中院を戸隠三院といった。1871(明治4)年、院を社と改めた。祭神は手力雄命(たぢからおのみこと)、天思兼命(あめのおもいかねのみこと)、天表春命(あめのうわはるのみこと)の3神と摂社に天鈿女命(あめのうずめのみこと)をまつる。いずれも、天の岩戸開きの神話による神々であるが、奥社に地主神としてまつられる九頭龍権現が、古い信仰の名残であるらしく、もともと水の神、農耕神である。梁塵秘抄には、平安時代にはすでに天下に聞こえる修験(山伏)の霊験所となっていたとある。近世には、寺領千石を与えられ、近世中期以降は、三院に各12院、あわせて36院あり、全て天台宗であった。1871年、神仏分離令によって、山内の諸仏をはじめ仏教くさいものはすべて山外へ出され、衆徒はすべて神官となった。奥院衆徒も奥社を引き払って中社や宝光社へ移転、現在中社に21家、宝光社に16家の社家があり、みな旅館を兼ねている。中世の戸隠は山伏の修行する霊場であったが、農業神としての信仰も強く、近世には戸隠講も結成され、ことに明治以降は社家によって積極的に講が組織されるようになった。戸隠は文人、学者などの避暑地として知られていたが1964年に戸隠バードラインが通じ、参拝者、観光客が激増している。奥社社殿は、1964年、中社は1956年の再建で新しいが、宝光社は1861年(文久1)年のもので、神仏習合時代の様式を示す仏殿式の社殿である。社宝に重要文化財の一字宝塔法華経や牙笏をはじめ、武田信玄願文などがある。1979年、戸隠神社信仰遺跡が県史跡に指定された。

信州に移住した人生-長野県感動ガイド-信州日記信州/長野どっとこむ長野県の風景・温泉・くらし転職して長野県でスローライフを過ごしています転職してスローライフを長野で送る人生信州旅行情報感動の風景風景ほのぼの信州の農村・山村信州田舎暮し日記信州大学の街に移住した人生長野に移住した人生

このページはIntrernet Explorer4.01以上をおすすめいたします
Copyright (C)2006-2008, 松本観光経済研究所.All rights reserved