戸隠の九頭龍を考察する場合、まず注目すべきなのは戸隠神社中社に所蔵されている「牙笏(げしゃく)」である。
この牙笏は昭和41年に国の重要文化財に指定されたが、当地においては長いあいだ「犀角の笏」と通称されてきた歴史がある。
1300年前に遠くアフリカの地から永遠と続くシルクロードを経由して日本に入り、さらに都から山深い信濃の戸隠の龍神に
奉納されたはずの牙笏、なぜ象牙の笏を「犀角の笏」と認識するようになったのだろうか。この背景を考察することは、九頭龍神の歴史にとってきわめて価値のある課題といえる。この牙笏と九頭龍神の関連について、現存する他の牙笏と比較しながら考
えてみることにする。
現存する五枚の牙笏
所在と特徴
笏については推古天皇(602年)の冠服の制を隋にならって始められたのがその起源であると伝えられている。その後、日本
書紀には五位以上のものは牙笏、六位以下のものは木笏を用いるげきことが記されている。しかし。牙笏の入手はきわめて困難
であり、『延喜式』(927年)以降は木笏が一般的に用いられるようになった。
大宝令などに定められた牙笏だが、現在までに確認されているものは全国に5枚のみときわめて数が少なく、その所在は次の4ヶ所である。
法隆寺 1枚
東大寺正倉院 2枚
道明寺天満宮 1枚
戸隠神社 1枚
全国に現存する牙笏については、従来より6枚と考えられてきたが、調査の結果では、現存数は全国に5枚のみということが確
認された。
この現存数については、東大寺正倉院に所蔵される牙笏の数が問題となる。これまでは、東大寺正倉院に所蔵される牙笏は3枚
とされてきたが、正倉院所蔵の笏は牙笏・通天牙笏・大魚骨笏・魚骨笏・木笏2枚だが、大魚骨笏(クジラの骨)を牙笏と誤認
されてきたと思われる。
戸隠神社の牙笏
戸隠神社の牙笏には下部左隅を中心に大きな欠損がある。傷跡と称すよりは欠損と呼ぶに値するのが適当で、およそ3センチほ
ど欠落している。神宝である牙笏がなぜこのような傷跡を残すことになったのか、戸隠に伝わる古老の話を紹介したい。
戸隠神社では、七年ごとに行われる式年大祭の折に、神社の神宝は宝光社において展示、公開されてきました。その中に、この
牙笏も公開されてきたのですが、この牙笏を戸隠神社では古来より犀角の笏と称してきました。また、この犀角の笏は万病に効
く良薬になる、と言い伝えられてきました。そして、在家の人々が牙笏公開の折に、神主さんにお願いをして少量ずつ削りとら
せてもらったものがしだいにひろがり、大勢の人が少量ずつ削り取った結果、このような傷になりました。今では重要文化財に
指定されている貴重な牙笏だが、その効力や験力を信ずるあまり、大勢で削り取ってしまったというのだから、今から考えると
随分軽率なことをしたものだと驚かされる。
この伝説の中で重要なのは
・戸隠では牙笏を長い間、犀角の笏と呼ばれていたこと
・犀角の笏が「万病に効く良薬」であると信じられていたこと
の2点である。
犀角は万病に効く良薬として中国・インドで丸薬や粉末薬として用いられていたこともあり、また、魔よけの呪具、水除けの呪
具としても用いられてきた。日本においても犀角は、良薬として、魔よけや水除けの呪具として珍重されてきた。これは日本の
医学知識が中国の医学や薬学を基本としてきた歴史があるからである。しかしながら、犀角の入手はきわめて困難であり、貴族
の財力をもってしてもなかなか手にはいるものではなかった。犀角の代用として鹿の角が使われたり、木製の呪具がつかわれて
きたりした。
犀の角は一度抜けても再生する角であり、不死再生の象徴として呪術的にも薬学的にもその効力は信じられてきた。したがって
犀角が万病に効く良薬であると信じられて根元には、道教との密接な関係が認められる。
戸隠神社の「犀角の笏」という名称については、本来象牙の笏であるにもかかわらず、400年もの間「犀角の笏」と信じられ
伝えられてきた。
修験道場としての戸隠は、全国的にも古くからその名を知られてきた。その戸隠神社に神宝として所蔵されてきた牙笏、俗に「
犀角の笏」、それは修験道の中に取り入れられた道教的な要素を色濃く残して今に伝えられた宝物である。(参考文献:信濃の古代史)
簡単に言えば、戸隠に行けば万病に効くと言われる「犀角の笏」がある。それを削って飲ませてもらえば病気が治る。
信仰を重ね、戸隠の式年大祭に行き、神主様にお願いをすることが必要。という考えが広まったのでしょう。
ということです。
この時代からパワースポットとしての戸隠神社があったのですね。
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